2006.02.22

2005年の日本の広告費は5兆9,625億円、前年比1.8%増。

2006年2月21日、電通は「2005年日本の広告費」を発表しました。

主な数字としては、


●日本の広告費は5兆9,625億円、前年比1.8%増、2年連続増
●マス4媒体は前年比99.3%、テレビが3年ぶりに前年実績を割り込み
●インターネット広告は2,808億円、前年比154.8%の続伸
 SEM(検索連動広告)は590億円、費用対効果を重視する広告主に完全に定着

といったあたりでしょうか。

日本の広告費ぐらいは、ぜひ覚えておきたいところです。
語呂合わせとしては、

(これまでの)ご苦労に、GO!
なんてのはいかがでしょうか?

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2005.11.28

「広告業界はマスコミか?」をもう一度。

本日新宿で4労連の共催によるマスコミ就職フォーラム2007が開催されました。私自身はほとんど準備や実施に絡めなかったのですが、新しい07時代を見てみるべく参加いたしました。

昨年同様、大きくジャーナリズムとエンタテインメントそしてビジネスの3つのジャンルで様々な会社の方々がパネリストとなり、実体験に基づいた話を学生の方々に届けていました。広告部門でのパネリストは相対的に少なかったのですが、半分以上の学生が広告志望ということもあり、学生の一方ではマスコミという意識が大きくなり、一方ではあまり役に立たなかったと思ったのではないかと感じています。

しかし、そもそも広告業界に限って言えば1/29、2/12に実施される広告業界就職フォーラムが本番であり、こちらでは広告業界に関する腹いっぱいの情報が皆さんに提供されます。むしろ今日のフォーラムは広告業界にとってもっとも重要なことの一つである「メディア」がまとめて学べたという点で、かけがえのない機会だったと考えて欲しいと思います。

本日コーディネータを務めた挨拶専用85氏のリクエストに応え、今日の参加者のために、もう一度「広告業界はマスコミか?」というコラムを読んでいただければと思います。

広告業界は「マスコミ」か?

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2005.10.07

広告業界は、「マスコミ」か?

一般的な会社のジャンルでは、広告代理店は「マスコミ業界」に入っているようです。しかし、これは正しい分類なのでしょうか?

マスコミ業界とは、一般的にはメディア会社群(主にTV、ラジオ、新聞、雑誌)、およびそのコンテンツを制作する会社群(制作プロダクションなど)のことを言い、第一義的には前者のことを指すものと考えられます。

一方広告代理店の基本構造を極めて単純化すると、「マスコミ各社の広告枠を、広告主に販売する」というものであり、マスコミは商品の仕入先ということになります(※厳密には仕入販売とは違います)。しかし、仕入先がマスコミであるということで、自分自身がマスコミ業界といえるのでしょうか。このような定義であれば、コーヒー豆を仕入れている専門商社は農業になり、家電製品を販売している量販店は電機業界となります。

また広告枠という商品は、仕入れた後は誰にどれだけでも販売してもいいコーヒー豆や家電製品と違い、掲載する広告主自体の審査や広告表現の校閲、また臨時ニュースなどで枠を飛ばしたり(=予定の広告掲載をメディア側からキャンセルする)、広告主にとって都合の悪いニュースを掲載・放送することもあります。すなわち、マスコミ業界は元来「ジャーナリズムを核とした、公共性の高い」業界であり、メディア会社の持つ「広告枠」という商品は、残念ながら、公共性やジャーナリズムの前には二次的な位置付けなのです。

広告業界は、「消費者へのインサイトとコミュニケーション力」がコアの価値である一方、極めて「B to B (Business to Business 企業間の取引)」色が強いという特色があります。マスコミのように直接コアな読者・視聴者を抱え、番組で流れた音楽が爆発的に売れるといった力を、広告業界単体では持ちえていないのです。したがって、広告主の多くは広告業界をあくまで「(広告主への)サービス業」と認識しています。

広告業界を「マスコミ」と位置付けることは、ほとんど伝統的な分類であり、多くの学生がTV業界と同列で広告業界を見ているようです。しかし、広告とメディアの立ち位置の微妙な違いを十分に理解せずに、派手で面白そうな業界ということで志望し入社試験に臨んだとしても、少なくとも広告業界にはまず入社できないと確信しています。

「広告業界就職フォーラム」では、志望する学生の方々に、広告業界を、

「クライアントのコミュニケーション課題を解決する総合サービス業」

と認識してもらいたいと思います。

そして、「TV/商社/コンサル/広告」といった「合コンつながり(!)」での就職活動ではなく、コミュニケーションのプロがもっとも力を発揮できる業界として様々な広告会社を研究し、挑戦していってほしいと思います。

しかし、広告業界もマスコミ業界的な感覚が要請されています。公共性の高いメディア会社にとって、「広告も視聴者・読者にとって有益な情報の一つである」という大きな建前があるからです。消費者への有益なメッセージをメディアに載せるのが広告代理店の役割であるとすれば、広告主の信頼性を広告会社が担保する必要がありますし、表現についても役に立つことや楽しいことをきっちり伝えなければいけず、消費者に誤解を招いたりミスリードしてはいけません。

また、マスコミという社会に不可欠なインフラを存続させるためにも、広告業界の立場はとても重要になります。広告主の利益とジャーナリズムの調整という、とても困難な仕事を、コミュニケーション力で遂行していくのが広告業界のミッションです。

このコラムをきっかけに、広告業界とマスコミ業界の関係を皆さんなりに一度きっちり考え、面接に役に立てて下さい。

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2005.09.28

「企画営業」「提案型営業」。

大辞泉で「営業」を調べると

1 利益を得る目的で、継続的に事業を営むこと。また、その営み。特に、企業の販売活動をいう。「年中無休で―する」「―マン」

2 法律で、継続的に同種の営利行為を行うこと。また、その活動のために供される土地・建物などの財産をいう。

とあります。営業という「職種」を指す場合には、「企業の販売活動を担当する役割」と言えるでしょう。この職種があって初めて企業は継続できるといっても過言ではありません。

「販売活動」には車、住宅、OA機器、ビール、飲料など「販売するもの」があります。このため「営業」特に「営業マン」という言葉には、「何かを売る人」というイメージがあります。これにネガティブなイメージを持つ人が多いのか、求人の現場には「企画営業」や「提案型営業」という言葉があります。

しかしこの「企画営業」「提案型営業」は、求人・求職の場でしか使われない言葉です。はっきり言えば営業職だけしか募集していない中で求職者に「企画【も】提案【も】できるよ」と言うために作られた言葉だと思われます。「営業はいやだけど、企画営業ならいいか」と言った求職者もいるのでしょう。

広告・印刷・コンサルなどの業界は最初から決まった売り物があるわけではなく、相手の状況を把握した上で企画を社内外のリソースを使って提案し、何らかの成果物を納品し請求するのが営業の役割です。しかし少なくともこのような業界では「企画」や「提案」という行為は当たり前のように仕事の中に入っているものであり、改めて「企画営業」「提案型営業」と言うことはまずありません。事実、広告労協でサポートした広告会社ではかつてどこも「企画営業」という言葉を使っていません。

模擬面接などをするとたまに「企画営業を志望しています」という学生がいます。きっと彼らは求人フリーペーパーの読みすぎなのかもしれません(苦笑)。少なくとも広告業界でははっきり「営業」という言葉を使うのがよいと考えます。

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2005.09.24

広告主のマーケ、広告会社のマーケ。

作家の渡辺淳一氏は週刊新潮9月29日号のコラム「あとの祭り」の中で、先の衆議院解散総選挙で評論家・識者・コメンテータと称する人たちの事前予想が大はずれし、選挙後にさまざまな理由を分析して問題点を警告している様について、以下のような意見を述べていました(要約)。

・要するに評論家の意見はあまり当たらない。それは世の中の流れ・気配といった「気」を読むことが苦手であるからである。
・小泉総理はこの「気」を読む力に長けており、郵政改革一本で突き進み造反組は刺客で報復して絶対勝利を獲得するというわくわくする作戦が、見事に時代の流れに当たって成功した。
・この「気」の流れは本を読んだりデータを調べるだけでは分からない。それはすべて過去のことについて書かれたものである。それより、今多くの人が何を思い何を望んでいるのかを察知することが重要。
・そのためにはもっと普通の人々と接し、彼らの日常の仕事やおしゃべりに熱い興味を抱かなければならない。
・これはあらゆるメディアでヒット作を生み出す基本。家や書斎、慣れ親しんだグループだけで考えて話し合っているだけではヒットは生まれない。専門家と一番かけ離れたいわゆる大衆の欲求とエネルギーにとけ込み、共感することが重要。

このコラムは、広告業界におけるマーケティングの重要性を示唆しています。

メーカーなどの内部マーケティング部門ではどうしても第三者的な見方がしづらく、また組織の理論からも保守的な意見になりがちです。広告会社のマーケティングに求められるのは、商品自体の論評ではなく、渡辺氏の言う「気」そのものだと言えるでしょう。

「広告主のマーケティングと広告会社のマーケティングはどう違うのですか」という質問は学生からもよく聞かれますし、面接でも聞かれる可能性は高いと思われます。広告主のマーケはこう、広告会社のマーケはこう、という分類ではなく、広告主のマーケは広告会社のマーケにこのようなことを望んでいるという答え方が適しているのではと思っています。

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2005.09.08

KAIZEN(カイゼン)。

「改善」という言葉は、ビジネス用語「KAIZEN」として今や世界に通じます。特にトヨタ自動車の経営哲学として有名であり、トップから現場に至るまで徹底的にカイゼン点を見いだし実現していくことで、年間一兆円以上の純利益を生み出しています。

カイゼンとは「より」よくすることであり、今の価値に立ち止まらず常にカイゼン点を発見していくことです。時には過去のやり方の否定から入ることにもあります。このようにカイゼンは付加価値創造の原点ともいえます。またカイゼンはそのノウハウを共有化することで、一人の小さなカイゼンを会社全体のカイゼンにつなげることができます。現場からの提案の声を大きく取り上げるのが日本式カイゼンの大きなポイントです。

トヨタ、松下、キヤノンなど生産現場でカイゼンに尽力した技術者OBの中には、経営再建中の会社に出向きカイゼンを伝授している方々がいます。カイゼン意識のない人には見えないことが、このような「カイゼンOB」の方にはすべて見えるのでしょう。当初はおっかなびっくりの社員も、カイゼンの効果がめきめき現れるにつれ、カイゼンOBを本気で信頼していくようになります。日本の賃金水準は他国に比べても依然高く、国内製造業は高コスト体質と言われていますが、カイゼンひとつでコストが半分になるということも少なくはありません。再建会社はカイゼンOBには宝の山に見えているのかも知れません。

広告業界の仕事もコミュニケーション活動における一種のカイゼン活動だと言えるでしょう。私自身、電車に乗っていても昼食を食べていても「あ、あれをこうすればもっと売れるかもしれない」「これをこう言い換えるともっと人が理解するかもしれない」などと思うことがよくあります。コミュニケーションを生業(なりわい)にしている以上、広告マンには普通の生活の中で他の人が見えない切り口を見いだすことが求められます。

特に経験豊かなクリエーティブディレクターが伸び悩むクライアントを新規担当すると、ブランドやコミュニケーション戦略上の課題を見事に整理し、説得し、カイゼンを果たします。最初は耳の痛い話が、徐々に信頼を獲得して行く。それはあたかもメーカーからきたカイゼンOBのような存在に似ていると言えるかも知れません。

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2005.08.31

最悪のブログキャンペーン。

blogはメンテナンスが簡単なだけでなく、情報発信者同士がつながる全く新しいシステムであることから、まさに人口爆発のように増えてきました。その中で企業のコミュニケーション戦略でblogがどう活用できるか注目されてきているのも当然の流れです。

しかしすでに米国では恣意的(しいてき)なblogキャンペーンにより最悪の結果を導いた事例も出てきています。日経BPの記事「最悪のブログキャンペーンを検証する」から抜粋・要約すると

ある飲料メーカーがキャンペーンキャラクターである牛に関したブログを開設するとともに、影響力のあるティーンブロガー6人を本社に招待し、製品やプロモーショングッズなどが進呈されたという。そして、彼らのブログでこのことを書くように依頼し、さらに彼らは商品とは全く関係がないことにするようにと言い渡されたのである。

6人のブロガー達はそれぞれのブログで商品のことを書くようになるが、その不自然さが、ブログの商業的な使用を嫌うブログ純粋主義者とでも呼べる人たちにより指摘されるようになる。そして、彼らがそののやり方を批判するコメントやトラックバックを大量にメーカーブログに掲載するようになり、企業側はそれをすべて削除し、終いにはコメント、トラックバックができないようにした。

それが火種となり、メーカーに関して批判の声が多くのブログ内で巻き起こった。さらに、あるオンラインマガジンが6人のブロガーの1人にインタビューを求めるメールを送ったところ、メーカーのPRから電話がかかってきて、結局、3者でインタビューを行い、ブロガーも個人の意見ではなくPR担当者のようなそぶりで質問に答えたなどということもあった。これらの様々な批判の記事がブログ界に流れたのである。

口コミ効果のみを追いかけて、ブロガーと対処することには問題がある。隠し事をせず、消費者と同じ目線で真摯に対応する態度が、ブログやSNS(Social Networking Service)などのCGM(Consumer Generated Media)が普及した環境での企業コミュニケーションに必要とされていることだと思う。
※本blog筆者による引用・要約。この箇所だけの引用を禁じます。詳細は引用元をご覧ください。

この記事は別な意味での口コミの強大さだけでなく、広告と広報の仕事のあり方の違いを再認識させるものだと思います。

自民党がブログ・メルマガ作者を招待し懇談会を開いたというニュースがありました。記事や関連ブログを見る限りでは自民党支持者だけでないブロガーも集め、大きな反感を呼ぶようなことはなかったようです。しかしいったん昔の政治屋根性が見え隠れしたら、せっかくの潮目が変わってしまったことでしょう。ブログが世論形成に大きな影響を持ち得るということを、時の政党がはっきり認識しただけでもこの選挙は意味があるかも知れません。

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2005.08.10

再販制度と新聞業界(後編)。

国際化で安い輸入物が入ってくるとしても、国家政策上国内の農業は一定規模残しておかなければいけません。同様にジャーナリズムは社会のチェック機関として決して朽ち果てさせてはならない分野です。しかし放送法で守られ規制されている放送局と違い、新聞社(と出版社)は自由な立場からジャーナリズムを実践します。だからこそ国家の保護を受ける訳にはいきません

新聞が朽ち果てる前に国民一人一人が新聞社の成り立ちと意義を認め、税金とは別に社会のチェック機関としての新聞社にも月額4000円程度なら支払っておくべきという「考え方」を広げなければいけません。そうなるまでにはまだまだ時間が必要です。当面の「延命装置」としても再販制は絶対に維持しておく必要があります。

しかし新聞業界自身に(再販制議論以外の)危機意識と打開策の用意があるかどうかは、正直いって疑わしいと感じています。再販を維持していけば何とかなると思ってふしはないでしょうか。少子高齢化問題ならぬ「少紙高齢化問題」として、新聞社自身がもっともっとジャーナリズムの行く末を世に問い新聞復権を喚起していかなければならないと考えます。

また広告労協の模擬面接だけでなく、広告会社の実際の試験でも「どうやったらもっと新聞が読まれるようになるか」という質問がよくなされます。それだけ新聞の活性化は広告業界の中心的課題とも言えます。それは私たち広告業界が健全なジャーナリズムに間接的に協力してきたという自負があるからです。

広告業界を目指す学生なら、ぜひ宅配紙を少なくとも1紙定期購読してほしいと思います。自宅に不在がちということもあるでしょう。しかし新聞は広告業界にとって重要なパートナーです。若い読者を増やしていかなければならない中で、広告業界の若い人自身が購読しないようであれば、結局購読料よりはるかに大きな金額で給料が下がってしまう事態になりかねないのではないでしょうか。

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2005.08.09

再販制度と新聞業界(中編)。

新聞社の取材費は、購読費収入と広告費収入(+事業収入)から捻出されます。収入の半分程度を占める購読費は、一部の経済紙、専門紙を除き、言うまでもなく宅配制度に依存しています。新聞販売店はあまねく零細規模であり、雇用の受け皿・奨学金制度など、宅配制度にはジャーナリズム以外にも一定の社会的意義があると言えるでしょう。

再販制に話を戻すと、新聞は毎日新しい紙面が発行され、古い紙面が流通することはありません。また基本的には1種類の商品しかなく、本紙が売れなければ(購読料も広告費も)収入の道が細ってくるだけです。新聞の再販制は事実上流通を含めた産業保護に他なりません。

私は、新聞業界の意義と現状を考えると、再販制を継続し新聞流通を保護しなければいけないと考えます。そうしないとあっと言う間に日本から多様なジャーナリズムが衰退してしまうからです。

「テレビのニュースがあれば十分じゃないか」、という人がいます。しかし新聞が「取材する」ニュースの量はテレビの比ではありません。また報じる量もテレビは限られています。もっとも問題なのは「ネットで見るから新聞とらなくていいよ」という人です。しかしいわゆるポータルサイトで報じられているニュースの多くは新聞社が配信しており、実際に取材しているのは新聞記者なのです。最近はこれをポータルサイトが取材していると勘違いしている人が増えてきています。この現状を新聞社はどのように受け止めているのでしょうか。いや、そもそも気づいているのでしょうか。

再販制がなくなればどうなるか。仮に新聞社が定価を下げないとしても、販売店の現場で熾烈な価格競争で「既存顧客」の取り合いとなり、つぶれる店舗が続出します。新聞流通ががたがたになれば新聞社の基盤は揺るぎます。仮に勝ち残った新聞社がいたとしても、テレビやインターネットでの無料ニュースに依存している人が新たに新聞を定期購読するとは思えません。再販制がなくなっても新聞購読者層全体が増えるわけではなく、読者の高齢化とともに終焉を迎えるでしょう。

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2005.08.08

再販制度と新聞業界(前編)。

先日「再販制度と出版業界。」というタイトルで、出版流通における課題について述べました。では新聞というものを考えた時、再販制度をどのように捉えたらよいのでしょうか。その前に、新聞とは何か、新聞社とはどのような企業なのかを考察してみます。

新聞社の企業使命は言論・出版の自由の実践です。まさに民主社会の公器と言えます。このため、特定株主に買収され紙面に影響を受けることのないよう、新聞社は株式上場しないのが一般的です。

新聞社は記者を自社で雇用し、記者はどんな記事がどれだけ売れる・この企業から広告費が期待出来るといった細かい算段や取引なしに取材費をかけ、日々苛酷な取材をこなします。政治・経済・事件・事故は記者を待ってくれません。1日でも半日でも他紙に抜かれれば「特オチ」のレッテルを張られます。新聞社の企業努力は「特ダネ」をいかに嗅ぎ付け、他紙に先駆けて紙面にするかに絞られると言えるでしょう。もちろん取材の結果興味深い真実が出ず取材費がムダになることもあります。しかし、出版であればその企画がどれだけ売れるか時間をかけて計画を立てるのでしょうが、新聞記事では立ち止まって一つ一つの採算性を検討していてはいい紙面は作れないのです。

新聞記者の方々と話していると、ジャーナリストとしての高い職業意識に感銘を受けます。ジャーナリストとは誰にも制限を受けずに自らの考えに基づいて行動する検察官のような存在です。また石油や農産物のように海外から輸入といったことができないのもジャーナリズムの特徴です。日本社会が自由で健全であることを保障するためにも、ジャーナリストには通常の民間企業とは全く違うロジックで動いてもらうことが必要なのです。

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2005.08.07

再販制度と出版業界(後編)。

この議論をする上で再販制の問題を避けては通れないと主張する人がいます。しかし個人的には出版における再販制について賛成の立場にも反対の立場にも立ちません。それは今や活字離れの本質はもはや再販制議論を越えたところに存在するからです。

タダに勝てる価格設定はありません。それならば、これだけネットやフリーペーパーがある中でも、「今」「お金を払って」書籍・雑誌を読みたいと思わせる「付加価値」を追求するのが先だと言えるでしょう。

レンタルビデオの登場により、「映画はレンタル市場に出てから見る」というライト層が拡大してしまいました。このライト層の登場で映画業界は長らく低迷していましたが、現在では一時期の衰退を脱し、国内外作品を問わずヒットを連発し好調な動員を獲得しています。これはいくらレンタルが安かろうと話題作を先行して映画館で見れるのであれば(様々な割引を併用して)1000円から1500円ぐらいなら支払ってもよいというコア層が確実に存在するということを証明しました。

同様に出版の分野でももはや「書店で新刊を買って読む」というコア層と「古本市場に出てから読む」というライト層は明確に別れています。私は映画のコア層が支出する1000円~1500円という金額のゾーンに望みを託したいと思っています。実際書籍の価格帯は今でもこの程度であり、ベストセラー本も多数あります。新書版のベストセラーであればこれよりも安価です。書籍は日用品とは違い、希望小売価格からどれだけ安くなっているかで買う買わないを判断するものではありません。

このように考えると、紳士服の2プライス店のように、出版業界が協議して新刊の価格を例えば新書は700円、ハードカバーは1400円といった統一価格にするといったアイデアもあるかもしれません。このように再販制を前提とした分かりやすい価格帯を定めれば、出版社も部数を増やすための付加価値創造に注力し、ベストセラーの増加など改めて需要を喚起できるのではないでしょうか。

このような形でも客が戻ってこないようであれば、再販制・取次問題を含めたゼロベースの議論になっても仕方がないでしょう。そうなる前に広告業界もアイデアを出しながら出版業界の再生を図っていかなければならないことは言うまでもありません。

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2005.08.06

再販制度と出版業界(前編)。

再販価格維持制度、いわゆる「再販制度」とは、製造者が小売業者に対してあらかじめ定めた小売価格以外で販売してはならないというものであり、独占禁止法の例外として定められています。事実上再販制とは書籍・出版物を対象とし、出版文化の維持発展のために売れ線以外の出版物の価格を守り、筆者や出版社・書店を保護する役割を果たすと言われています。

もう一つ書籍・雑誌の流通に特徴的なことは、トーハン・日販に代表される「取次(とりつぎ)」という仕組みです。零細規模の多い書店業界が売れ線以外のさまざまな種類の書籍を販売できるようにするため、書店は書籍を「問屋から買い取る」のではなく、「取次会社から取次いでもらう」形で在庫リスクを避けます。分かりやすく言えば店頭にある書籍は書店ではなく出版社の資産なのです。書店はいつでもノーリスクで返品することができ、出版社は返品の山を抱えます。在庫リスク、すなわち売れ残るリスクは原則として出版社が負うことになります。

再販制度と取次の仕組みは事実上両輪の関係にあります。仮に書店に一定量の書籍を買い取ってもらうのであれば、書店はそれらを売り抜かなければ損になってしまいますので、書店がいくらで販売するかを拘束することはできません。在庫リスクを肩代わりしてもらうこと条件に、書店は多種多様の書籍を置きます。この調整機能と金融機能を持つのが取次会社です。

取次をベースとした書籍流通は書店の意義と経営の保護に大きく貢献してきました。また出版社の方も一般に企業規模は小さく、再販制度により一定の利幅を確保してきました。ところがコンビニ販売、大手古本チェーンとマンガ喫茶という新しい流通業態の出現が出版・取次・書店業界を直撃しました。町の零細書店は廃業に追い込まれ、出版社も文庫本やマンガといったかつての売れ線商品が大きな在庫と化しています。

しかし出版不況の最大の要因は「活字離れ」、すなわち人が出版物にお金をかけなくなったことです。長かったデフレの時代の中でも再販価格を維持してきた出版業界は、古本・マンガ喫茶だけでなくインターネットや携帯、さらにはフリーペーパーで得られる無料の情報に押され、雑誌・書籍問わず販売部数を下げてきました。

広告業界で働くものとして、出版業界の行く末はひとごとではありません。これら逆境の中で出版業界が今後活気を取り戻し、人々の文化や流行・教養の源の座にあり続けるためにはどのような施策があるでしょうか。

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2005.08.05

カタログの仕事が大事な理由。

先日会社の先輩が「いろいろ大事な仕事はあるけども、実は大事なのはカタログ製作だ」と言っていました。そういえばある後輩も「ずっとカタログ製作の仕事で泥沼の残業をしていましたが、とても楽しかったです」と言っていたのを思い出しました。

2人は共通して「カタログの作業は広告主とがっぷり四つに仕事ができる」と言います。

カタログ製作は極めて地味な作業であると同時に莫大で正確な製品知識が必要となります。また素材となる写真撮影数も膨大です。極めて専門的であり、かつ販売の現場でそのまま使われるものであるため、広告主も広告会社などに丸投げすることはできず、最終的な校正は結局広告主側が行うことになります。テレビCMや新聞広告でも同様に制作物の最終責任は広告主にありますが、要請される正確さや知識はカタログの比ではありません。

このためカタログ製作は知識や経験のあるスタッフが極めて重宝されます。価格競争もないわけではありませんが、一度も取引をしていない印刷会社がいかに安く言ってきても、結局製作で苦労するのは広告主自身です。したがってカタログ製作は一旦広告主との信頼関係が構築されれば比較的長期に指名受注できる分野となっています。後輩は「とにかく広告主とべったりの作業だったが、苦しさも楽しさも共有できた」と言っていました。

とても地味な分野だと思われますが、たとえば電機製品や自動車などの高額商品は、最終的な購入行動の決め手がカタログであることも度々です。小さい広告会社でもこのカタログ扱いのあるところは一つの強みを持っていると言えるでしょう。

※2004年09月26日のコラムを再録

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2005.08.01

合唱とアカペラ。

私事ですが学生時代には男声合唱をやっていました(東京六大学の校歌は6校とも歌えます)。その関係もあり、今でもアカペラが大好きです。

合唱というのはある程度の人数を4つのパート(女声合唱は3パート)に分け、それぞれのパートが全体で1つのメロディを歌い、すべてのパートが合わさると一つの大きなハーモニーになるというものです。

一方アカペラは、4~6人程度のグループで、1人が1つのパートを担当。メロディが合わさったときも、一人一人の個性が際立つ形で伝わってきます。

合唱とアカペラの一番の違いは、「指揮者がいるかいないか」だと思います。3、40人、規模によっては100人以上という合唱団を1つにまとめるのに、歌わずに全体を引っ張っていく指揮者の存在は不可欠です。しかしアカペラはリーダーを含め全員がシンガーであり、息のあったリズムでスピーディーに曲が進んで行きます。

また合唱団では交替で息継ぎ(カンニングブレス)したり、多少調子の悪い人がいてもパート内でカバーしたりと、パート単位で協力することができます。しかしアカペラは個人個人の責任が大きく、一人のミスもロスも許されません。

広告業界は、大会社でも中小規模でも、アカペラ的単位で仕事をしているところといえるでしょう。

プレイヤーの一人である営業をリーダーとし、グループ全員がお客の方を向いている。あらかじめ決まった曲ばかりでなく、客のリクエストに応え即興で歌う。一人一人がパートを受け持ち、それぞれの持ち場でその瞬間に何をしなければいけないか自分で判断し行動しなければいけません。そこには指揮者はいません。

大学時代には先生の指導の下全員が一つになる喜びを味わってきましたが、社会に出てからはアカペラが好きになってきたのは、自分の仕事と無関係ではないような気がします。

※個人的には海外アーティストではTake6(富士重工のCM曲などあり)、日本ではトライトーンに傾注しています。トライトーンは日本では少ない男女混成グループ(男3、女2)です。合唱団出身、Take6、トライトーンファンの方、ぜひ語り合いましょう(笑)

(2004年07月16日発表のものを再録)

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2005.05.23

情報が対価。

広告労協での就職支援を始めて以来毎年恒例になっている某PR会社へのOB/OG訪問会ですが、私自身PR作業の経験がないため、PRのプロの方にお話を聞けるのが毎回楽しみになっています。

立場上、私としては広告とPRの違いがもっとも興味あることになります。先日伺ったOB/OG訪問会で、私の方から

「広告ですと広告枠とお金の取引によってビジネスが成立しますが、PRでは記者の方に対価を払う訳でもなく、どのようにして仕事を回していくのでしょうか。」

とお聞きしたところ、ある社員の方が

「私は『情報が対価』だと思っています。いい情報や使える情報を提供することは、それ自体が記者の方にも役に立つことです。」

と答えてくれました。

普段からメディア取引の仕事をしていると、往々にして価格勝負といった企画やコミュニケーション力とは関係ないことに心を取られます。他の代理店より安くなければ勝てないかもと絶望的になることすらあります。しかしこの「情報が対価」というPRマンの言葉は、そもそも情報自体が人間にとって意義あるものであるという原点に私を戻してくれました。

金銭と取引される商材は、いかにそれがいいものであろうと、その買い手にとっては最終的に「いかに安く買えるか」という判断がつきまといます。しかし情報はそれ自体が価値を持ち、それ自身が流通します。特に生活者は他人に情報を伝える時に対価を求めません。むしろ「ねぇ聞いて聞いて」と言ってまで伝えるように、「情報」に加え「自ら伝える」こと自体に価値を見いだします。

情報の価値は「いかに興味深いか」または「いかに役に立つか」であり、価値があれば情報は自由に流通し、なければ流通しません。価値ある情報をたくさん持ち発信できる人や組織には、さらによい情報も集まります。そのような「場」を形成することで「結果として」金銭的価値が生まれてくるのでしょう。

すべてが金銭対価を必要とする広告ビジネスに比べ、PRはビジネスとしての枠組みにあいまいさな部分はありますが、それ以上に情報を核に自在にリレーションを構築していくPRマンの仕事ぶりには別格の自由さと充実さを感じます。それは決して広告マンにはできないことというわけではありません。今年も情報とコミュニケーションを生業とすることの意義を確認できたOB/OG訪問会でした。

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2005.05.06

代理店と媒体社の、微妙な関係(後編)。

これまで述べてきた通り、広告代理店はメディアに関してフレキシブルな対応をしなければいけない一方で、メディアを必要なだけ確保できなければ提案が成立しません。また媒体社はフレキシブルな買い方をされても増収につながらないため、不人気商品をどう埋めていくかを代理店に求めていきます。

全く矛盾している2社の向き合い方を解決するのも広告代理店の仕事です。不人気枠の持つメディア特性を知り、そのメディアに合った広告主を「いち早く」捜し当てる「知恵」と「行動力」が求められます。

代表的な例はテレビの深夜帯です。今となっては若者にとってテレビの深夜番組は当たり前の存在ですが、かつては番組も充実しておらず一日の放送も今よりずっと早く終了していました。しかしコンビニの出現により生活が深夜帯まで伸びてきたこと、新進気鋭の番組プロデューサーや制作者が深夜帯で安いコストながら自由に番組を作ったことなどで、若い視聴者を中心に徐々に深夜ならではのポテンシャル(潜在力)を持つようになってきました。

このポテンシャルを最初に有効に使ったのはavexなどの新興音楽レーベルです。もちろんコンビニ自身、さらにはコンビニ回りの商品を作っているメーカーも深夜帯に注目してきました。このようなポテンシャルにいち早く気づき提案をした広告代理店側は媒体社に二重の貢献をしています。一つはその当時の不人気枠を利益に転じたこと。もう一つはかつての不人気枠を人気枠に変えることで価値を上げたことです。

別なメディアの例として、交通広告における「学校」や「予備校・塾」の広告が挙げられるでしょう。2月と8月は「ニッパチ」と言われる広告閑散期であり、この月の増収を図ることが媒体社にとっても広告代理店にとっても大きな課題でした。通常取引している広告主にニッパチのニーズがなければ無理やり買ってもらうことはできません。それならばその時期にこそ媒体ポテンシャルがある業種を考え出しアタックすることしか残された道はありません。

そこで出てきたのが「学校の広告」です。学校という法人はビジネス感覚が疎くそもそも広告出稿という考え方になじまない業種でした。もともと受験生に対して予備校が大々的に広告する、受験生に対して落とす立場の大学が広告するというのはタブーに近かったのでしょう。しかし少子化が進み、積極的に学生を獲得していかないと収入減や補助金打ち切りになる恐れなど、徐々に学校にも危機感が芽生えていました。同時に予備校や塾も同様の状況に置かれていました。そこに目をつけた広告代理店が比較的手配しやすい2月や8月の枠を使い、コミュニケーション戦略により業界のタブーを打ち破って、2月の応援広告や8月のオープンキャンパス告知といった需要を掘り起こしました。

もともと経済というものはゼロサム(金の取り合い)ではなく、新たな価値を生み出すことによって成長するものです。また媒体社にとっては枠がお金に転じれば劇的に収入増となり、さらにいい番組などを作り出すこともでき、さらには広告価値も上がります。そして貢献の大きい広告代理店とのリレーションが深まります。

広告代理店における媒体の仕事では、このようなダイナミズムに直接触れる機会があります。営業志望が大半を決める昨今の就活生ですが、メディアの仕事のおもしろさもぜひ研究してほしいと思います。

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2005.05.05

代理店と媒体社の、微妙な関係(中編)。

日本の広告業界は新聞広告の「広告取り次ぎ」から発展したこともあり、歴史的に媒体社側の立場が強いものになっています。

広告代理店の本業が「クライアントの課題をコミュニケーション活動によって解決すること」であるとすれば、媒体社と取引口座があるかどうかが広告主への媒体提案の幅を決める重要な要素となります。当然代理店側はあらゆる媒体社と直接取引をしたいと考えるわけですが、媒体社側にとっては主に以下のような点で口座を持つか検討します。

(1)与信問題(万一のことで代理店の経営が揺らがないか)。
(2)新規売上につながるか(新規の広告主を持ってこれるか)。
(3)セルスルー(どれくらい現在の自社商品が売り切れているか)。
(4)予算達成(媒体社が希望する金額をどれだけ積み上げられそうか)。

銀行で活発な取引がないのに口座だけ持っている場合には利息どころか口座管理料が徴収されることがあるように、媒体も取引口座をむやみに増やせば営業リソースを食われることになります。

媒体社は当初より広告代理店という機能を前提とした事業スキームで設計されているため、上記理由のように「その広告代理店(広告主ではない)」と付き合いを開始ことで総合的な売上の期待値を重要視する傾向にあると言えます。

「新しい広告代理業を立ち上げました。これから頑張りますので先に口座を開いてください。」といっても、人気媒体社ではなかなか受け入れられないのが現状です。また仮に口座を開いたとしても枠が限られている優良商品がすぐに割り当てられることはなく、セルスルーの悪い枠で実績を積む「ぞうきん掛け」からスタートすることになります。

聞こえは悪いかも知れませんが、強力な媒体であればあるほど媒体社サイドに優位な条件でビジネスが始まり、実績を積んで優良枠が割り当てられるようになってきた後も、常に「汗をかく(=一定量の買い切りなど)」ことを求められます。これは最大手から中小に至るまで同じです。

しかしきちんと売り上げれば代理店と媒体社の双方に利益になります。媒体社が代理店に不人気枠もバランスよく拡販するよう言う様は、母親が子供に「好きなものだけ食べずに、出されたものは全部食べなさい」と言うようなものでしょうか。

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2005.05.04

代理店と媒体社の、微妙な関係(前編)。

媒体社の本業は、多くのユーザーに接触してもらい影響を与えることです。売上や利益という指標は原則としてその次に位置するものです。このため、媒体社は会社の資源をメディア価値向上に投下し営業リソースを極力小さくする代わりに、広告代理店にコミッション(手数料)を渡して取引をします。極論になるかもしれませんが、メディア運営のリスクは自社でとり、収入部門である広告販売はアウトソースするのが典型的な媒体社の経営と言えます。

一方広告代理店の本業は、クライアントの課題をコミュニケーション活動によって解決することです。したがってクライアントに選ばれなければ事業は成立せず「営業」活動がコアとなります。そのためのメソッド(複数形は「メディア」ですね)はクライアントに応じて臨機応変に選ばなければいけません。しかしメディアを「運営」するような事業リスクはありません。

このように媒体社と広告代理店では明確な本業の差があり、この図式だけで見れば、(通常のビジネス同様)お金を支払う側の広告代理店の立場が強いと思われます。

しかし実際はそう単純にはいきません。

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2005.04.27

学生が背負うブランド(その3)。

「背負うブランド」シリーズ最終回は、学生にとっての「地方ブランド」です。

blogというものは時に個々のエントリーだけがリンクされて広まることもありますので、誤解されやすい点は何度も念を押させてください。このシリーズでは「学生のブランド」を「(面接がすべて終了した後)面接官がその学生の名前を見るだけで勝手に連想させる何か」と定義しています。

就職活動ではいうまでもなく「自分自身の様々な経験や実績で過去のブランドをアピールし、自分の将来に期待してもらう」ことがもっとも大事です。一方多くの学生は一発でブランドを印象付けるような強烈な経験が不足しています。

そのような悩みをもつ学生のため、前回のコラムでは誰でも持っている「大学ブランド」のよい部分をどう活用するかを述べました。しかし大学ブランドには偏差値的な先入観がいまだ存在することも事実です。採用試験において大学名を完全に伏せて面接する会社もあります。そこで今回は「地方ブランド」の活用について考察を書きます。

ビジネスでも何でも、初対面同士では共通の話題がないのは当然です。特に東京という土地では人が多すぎお互いの共通点がなかなか見出せないものです。商談の場で相手の出身大学を直接聞くようなことはまずありませんが、出身地方を聞いて相手のバックグラウンドを知ることはよくあります。自分の出身地のことならば相手もいきいきと話すことができ、その後のコミュニケーションも円滑になります。新入社員が飲み会の場で自己紹介するときも(地方出身であれば)出身地を言うのは普通でしょう。ゼロから始まる新入社員にとって、出身地は相手に与える最初のブランドです。

大きく分類すると、地方のブランドは「文化や観光資源」、「県民性」、「出身有名人のイメージ」で作られていると言えます。これは大学のブランドである「特色ある教育」「校風」「有名OB/OG」に対応しています。しかし大学のブランドと違い、地方のブランドははっきりした定番的評価があります。

地方大学生の就職活動でも、意識的か無意識的かを問わず面接官はあなたに最初から出身地のブランドを重ねます。関西の学生であれば、話がうまく笑わせてくれることが期待されているでしょう。九州の学生であれば目立ちたがり屋で活動的な個性、北海道出身であればフロンティアスピリットのある大胆な行動力が期待されているかもしれません。

そもそも東京の企業に応募してくる地方大学生は少数派です。あなたのブランドの一つは、なんと言っても地方出身であることなのです。相手が出身地にポジティブなブランドイメージを持っている可能性が高いのであれば、地方代表として期待に応えてあげて損はありません

またあまりイメージのない地方があることも事実です。しかし「地方の背負うブランド。」で述べたとおり、地方のブランド向上は立派なビジネスです。そのような地方の出身者は、地元のイメージをコミュニケーション力で伝え、愛する地元のブランド向上のためのアイデアを披露するなど、過去の背景と将来の期待値を同時にアピールできる策はいくらでもあるはずです。

地方に住んでいるとあまりの日常性に地元の特異性に気づかないこともあるでしょう。この手の話はいくらでも資料があります。特に「県民性」に関しては様々な書籍やサイトで詳しく見ることができます。

「県民性ワールド」
都道府県別ヒット商品の法則 地域マーケティングの第一人者が教える (矢野新一)
県民性の謎がわかる本 47都道府県あなたの金銭感覚は?(山下竜夫 )

またウィキペディアの「出身別の人名記事一覧」も参考になります。

外国人と仲良くするためには自国の文化を説明できるようになっていなければならないように、地方出身者が東京の人と話をする上では出身地のブランドを再認識しておくべきでしょう。自己PRとして使うだけでなく、面接の会話の中でのエッセンスとしても使えるはずです。地方大学生だけでなく、地方から上京してきた東京の学生で母校のブランドが弱い場合にも、必要に応じて出身地のブランドを活用してみてください。



これまでいろいろ述べてきましたが、大学ブランドや地方ブランドだけで内定することはありえません。しかしあなた自身のブランド一本勝負でも壁にぶつかることはあると思います。子会社が親会社のブランドを生かしてビジネスをする、ブランド企業との取引実績をアピールする、新興ブランドが有名アーティストのCMでいいイメージを獲得するなど、何かのブランドの助けを借りて自分のブランドを確立していくことはビジネスの世界では当然のことであり、決して恥ずかしいことではありません。

壁にぶつかった時には、ぜひ自分の周りのブランドを総動員してみることを試してみてください。

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2005.04.26

学生が背負うブランド(その2)。

繰り返しになりますが、このシリーズでの定義に基づき「学生のブランド」という言葉を説明すると「(面接がすべて終了した後)面接官がその学生の名前を見るだけで勝手に連想させる何か」となります。「勝手に連想」わけですから、あなたが意図としたことを連想してくれているかどうかの保証はありません。

前回のコラムで、学生は面接官に「過去の背景」と「将来の期待値」という2つのブランドを残すと書きました。しかし現実問題として過去の背景なしに将来の期待値だけ信じろといっても困難です。過去の背景は本来のブランドの意義である「信頼」の原材料であり、信頼のない期待はありえません。

もちろん、自分自身の様々な経験や実績で過去のブランドをアピールすることがもっとも大事です。しかし多くの学生は一発でブランドを印象付けるような強烈な経験が不足しています。そのような場合には、自分が所属しているブランドに一度立ち返ってみることも大事でしょう。今回は、「大学ブランド」をどう活用できるかを考えてみます。

社会では、職業や所属を抜いて関係を持つことはまずありません。会社員がその会社のブランドを背負って仕事するように、学生はその大学のブランドを背負って就職活動に臨みます。また今や「大学のブランド=偏差値ブランド」ではありません。民間主導の世の中になり、企業の求める人材像は偏差値評価の正反対になったと言えるでしょう。その価値観を理解したうえで、母校のブランドをどう活用するか、もしくはブランドを越えるか研究することが大事です。

誤解しないで欲しいのですが、面接の場でその大学のブランドを延々と説明しろということではありません。大学のブランドはすでに相手の中にあるものです。そのイメージとあなたが重なった時に、どのようにして自分にプラスにもっていくかという点が重要なのです。以下具体的な例を挙げてみます(具体的な大学名を出し失礼な部分もあるかと思いますが、個人的な意見としてご容赦ください)。

一般の人が大学のブランドとして想起するものは以下のようなものが挙げられるでしょう。

  • 偏差値・学力

  • 有名教授、有名ゼミ

  • 国際的。語学に熱心

  • 司法試験や会計士試験など資格取得に実績

  • スポーツが強い。有名スポーツ選手の出身

  • 有名経営者の出身

  • 著名人、タレントの出身

スポーツが盛んな大学は、活動的なイメージを持ちます。駒澤大学は仏教系大学のひとつですが、多くの人や企業にはもはや「箱根駅伝」のイメージで捉えられているでしょう。駒大生にとってこのブランドをあなたにかぶせない手はありません。また明治大学、法政大学、日本大学などは野球やラグビー、アメフトなど様々な分野の強豪校であり、有名プロ野球選手などを多く輩出しているため、スポーツイメージが大きい大学です。もちろんそこの学生が誰でも体育会所属というわけではありません。しかし体育会のもつ「明るさ」や「元気さ」が感じられない学生には、面接官は違和感を覚えることでしょう。そのような学生を採用するよりは、同じ大学で元気のいい学生を採った方がいいと考えるのが自然です。「元気」と「仕事ができる」というイメージは重なるものなのです。

上智大学のように語学や国際教育で有名な大学で、そのような専攻をしてきた学生はアピールが楽です。大学ブランドと自分の力を面接官に重ねて見させることができます。しかし語学と直接関係ない学部はあるでしょう。そのような学生でも大学のブランドを放棄するのはもったいないことです。確かにTOEICの点数は語学専攻生と比べてかなり見劣りするでしょうが、質問に及んだとき「語学専攻ではありませんが上智大生としてはずかしくない程度の勉強はしています」などと答えれば、面接官は自分のもっている大学ブランドと合致することで安心することになります。

中央大学法学部といえば司法試験の名門として有名です。ここの出身学生で民間企業を受けるときには、必ず「司法試験は受けないの」と聞かれているのではないでしょうか。このとき「あまり勉強しなかったので…」などと正直に答えれば、中央大学法学部というブランドを一切「放棄」することになります。法律は法曹のものだけではありません。社会では契約という法律行為やコンプライアンス(法令順守)が重要です。司法試験の話を聞かれるということは、専攻である法律のことはどうするのという質問と同値ですから、法学部生として一定水準の答えを用意し、大学・学部ブランドを活用すべきだと思います。この考え方は「理系から広告」という学生にも当てはまるでしょう。理系学生は一定の知力があるというブランドがあります。詳しくは「理系学生の規定演技」をご参照ください。

卒業生が大学のブランドに大きく影響することもあります。日本マクドナルド原田永幸CEO(元アップルコンピュータ社長)は東海大学、ヤフーの井上雅博社長は東京理科大卒、楽天の三木谷浩史社長は一橋大学卒、イトーヨーカドーグループ鈴木敏文会長は中央大学卒など、有名ブランド会社の社長が卒業した大学の在学生は、それを活用しない手はありません。大学ではありませんがライブドア堀江貴文社長が卒業し、ソフトバンク孫正義社長も在籍していた久留米大学附設高校は、ITベンチャーを輩出する学校として一躍有名になりました。もともと企業人として他社とビジネスするということは、先輩が築いたブランドを元に現在の自分に期待してもらうことです。自分自身に根拠があろうがなかろうが、先輩のブランドを語れるのは後輩の特権なのです。社長でなくても、著名人・アーティスト・スポーツ選手でもいいでしょう。面接官が初めて知る事実でも構いませんので、自分とかぶせやすいイメージの先輩がいるのであれば、積極的に使ってみてください。

最後に「女子大」ブランドについて言及します。広告業界に限らず、女子大の「良妻賢母」ブランドはビジネスの場ではプラスには働かないと思われます。社会は男女同数、ビジネスの場では今でも男性が多く、普段からの男性との向き合い方も重要な素養ですから、同じ資質の女性であれば女子大ではなく共学から採用したいと思われても非難はできないでしょう。女子大の学生はまず一般的な女子大のブランドと向き合い、それを乗り越えた自分固有のブランドを作る必要があるといわざるを得ません。それには実際に総合職として勤務しているOGに話を聞くことがもっとも効果的です。業界を問わずひたすらOG訪問するべきでしょう。

みなさんが今の大学を選んだ理由は人それぞれでしょう。しかしどんな大学でも、あなたという個人よりはブランドがあります。一旦そこを選んだのであれば、その大学の持つ「よい」ブランドは目一杯活用すべきです。大学のブランドとあなた固有のブランドが相乗効果を生むことで、あなたの将来を期待する理由が生まれてくるのです。

今や就職実績が大学の命運を決める材料になっています。みなさんは知らないかもしれませんが、就職活動シーズンに中高年ビジネスマンが読むような雑誌に大学の広告が出ていることがあります。みなさんの自己PRの時に少しでもいいブランドイメージをかぶせてもらえるよう、大学もあらかじめ企業に自己PRをしているのです。

大学がどのようなブランド戦略・PR活動をしているかを知り、大学有名OB/OGからスポーツ実績まで総動員し、あなたのブランドを高める上での母校ブランド活用作戦を準備してください。

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2005.04.25

学生が背負うブランド(その1)。

「背負うブランド」シリーズの締めは、他ならぬ学生の「あなた」が背負うブランドです。

「あなたのブランド」とは何でしょう。ブランドの定義に基づけば、「あなたの名前を聞くだけで相手に勝手に連想させる何か」です。さて、そんなものがあるのでしょうか。

初対面の場では誰にもブランドはありません。しかし面接という過程の中であなたは2つのブランドを相手に残すことになります。1つはあなたの「過去の背景」というブランド、もう1つはあなたの「将来の期待値」というブランドです。

これは企業のブランドと同じ構造です。企業ブランドは過去の実績と信頼が土台となり、新製品はその土台に乗り新たな期待値をもって消費者にアピールします。この2つは独立した存在ではなく、一貫性をもつことでブランドの全体像がくっきり結ばれるのです。

面接官は面接が終わった後、それまで見てきた学生の中で「この学生を採りたい」という判断材料を探します。その材料があなたの残したブランドそのものです。「一言で説明できる自分の良さ」を面接官に勝手に連想させられたかどうかが結果を左右します。

しかし「一言で説明できる自分の良さ」を、自分の「キャッチコピー」を考えることと同値だと思っている学生が多いようです。就活マニュアル本にもそう書いてあるのでしょう。これは「広告すればブランドができる」という短絡的な考え方に近いといわざるを得ません。「私はスルメです。かめばかむほど味が出ます」といったオチを全面に出しても、あなたのブランドの深みまで理解させてられているかは甚だ疑問です。むしろコピーが「すべった」ときのイタさが際立つと思われます。

模擬面接の経験から言うと、数多くの学生と面接した直後に残っているのは、取って付けた様なキャッチコピーではありません。面接官はその学生のもつ具体的な背景と実際に会って初めて感じることのできる将来の期待値を総合し評価をしているのです。したがって面接でのあなたのブランドを残すには、何かの一発勝負ではなく複数の素材をアピールする必要があると思います。

そんなものが自分にあるのか、と悩む学生がほとんどでしょう。次回はこの点について具体的に書いていきます。

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2005.04.24

学校が背負うブランド。

ブランドは積極的に作っていくべきものですが、多くは結果的にできているものです。高校や大学などの学校にも「自然に」ブランドが構築されています。

高額商品である住宅や生命保険、車の選択は、慎重を期したとしても途中で売ったり解約したりできないわけではありません。一方学校を選択することは経済行為とは異質なものであるがゆえに、その学校の持つブランドが選択のカギになります。

学校のブランド価値は長らく「偏差値」によって決まってきました。それは法曹・国家公務員・医者といった職業が価値観の上位を占め、民間企業への勤務や事業を興すことの評価が相対的に低かったからだと思われます。事実、金融・経済は大蔵省、産業は通産省の「主導」で、国策として動いているという意識が高度経済成長以降続いてきました。

しかしIT技術の驚異的な発展により、現代社会は昔から見たらまさに未来的な環境となっています。もはやエキサイティングな仕事は民間の現場に転がっているといえます。先見性を持ってこのことに取り組み、ネット環境がそろった米国型のキャンパスをつくってユニークな教育と人材輩出をしてきたのが、慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)です。特に民間企業のへの定評は高く、まさに大学・学部を聞けば呼び起こす「ブランド」が確立しています。

また民間主導の世の中になり、学歴偏重からコミュニケーション力や統率力・タフさなどビジネスに必要な素養を学生に求めるようになりました。このような背景を知ってか、行動的なブランドイメージを獲得するために、各大学ともスポーツの強化に力を入れています

スポーツを使ったブランド戦略は広告会社が普通に提案しているメソッドです。サッカーやオリンピックなどには多くの企業が協賛につき、また選手個人にもスポンサーがつきます。協賛しているだけでも間接的なイメージアップにつながる訳ですから、選手や大学自体ははるかによいブランドイメージがつきます。例えば駒澤大学、神奈川大学、山梨学院大学などのブランドは「箱根駅伝」によって構築されているといっても過言ではないでしょう。

民間主導の世の中となり、IT企業のように小さい会社がブランドを構築して大きく成長した例は枚挙に暇がありません。同様のことは大学にも求められています。少子化の中で特徴あるブランド作りをしていかなければいけないという危機感が大学関係者にはあります。また国立大学も独立行政法人化され、企業との連携や国際的な競争力をつけようと努力を始めています。東京大学では大学広報に大手広告代理店からの出向を受け入れ、広報機能の強化を目指しています。

大学のブランドはもはや自然にできたものでは太刀打ちできず、自らブランドを再構築しなければなりません。大学生としてではなく、広告業界を目指すものとして母校のことを考えてみてください。

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2005.04.23

地方が背負うブランド。

広告労協F氏と04生の時に初めて就職塾を実施したときに、「興味のあるブランドを一つ挙げて、その理由を説明してください」という課題を出しました。評価基準としては前回の「企業が背負うブランド。」で述べたようなことを理解しているかどうかでしたが、学生からの「Fさんならどう答えますか?」という質問に、Fさんは少し考え、「私は『東京』に興味があります」と答えていました。

以前後楽園球場と呼ばれていた球場は「東京ドーム」に生まれ変わり、新たな東京名所になりました。千葉県にあるディズニーランドも東京ディズニーランド、成田空港も新東京国際空港という名称です。もし「後楽園ドーム」という名前にしていれば、もしかしたら西武ドームが「東京ドーム」になっていたかも知れません。

「後楽園ドーム」と「東京ドーム」という言葉がもたらす印象の違い。F氏は「東京」という言葉がもつ力強さはまさにブランドそのものだと言っていました。また彼は「トヨタ」や「ホンダ」などの有名商標と違い「東京」という言葉は誰でも社名などに使うことができ、安易にブランドイメージを作り上げるときにも使用されると指摘しています。そこにいた学生だけでなく、私自身もF氏の話に深い感銘を受けました。

「東京」は別格としても、少なくとも日本人なら「~出身」という言葉だけで何かしらのイメージを持つことになります。それはその地方の持つブランドそのものです。人は初めて会った人に出身地方を聞くことで、それまでの相手の人生の背景を「勝手に」想像します。それは想像される方が好む好まざるにかかわらず、聞いた