広告業界のこと

2006.02.22

2005年の日本の広告費は5兆9,625億円、前年比1.8%増。

2006年2月21日、電通は「2005年日本の広告費」を発表しました。

主な数字としては、


●日本の広告費は5兆9,625億円、前年比1.8%増、2年連続増
●マス4媒体は前年比99.3%、テレビが3年ぶりに前年実績を割り込み
●インターネット広告は2,808億円、前年比154.8%の続伸
 SEM(検索連動広告)は590億円、費用対効果を重視する広告主に完全に定着

といったあたりでしょうか。

日本の広告費ぐらいは、ぜひ覚えておきたいところです。
語呂合わせとしては、

(これまでの)ご苦労に、GO!
なんてのはいかがでしょうか?

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2005.11.28

「広告業界はマスコミか?」をもう一度。

本日新宿で4労連の共催によるマスコミ就職フォーラム2007が開催されました。私自身はほとんど準備や実施に絡めなかったのですが、新しい07時代を見てみるべく参加いたしました。

昨年同様、大きくジャーナリズムとエンタテインメントそしてビジネスの3つのジャンルで様々な会社の方々がパネリストとなり、実体験に基づいた話を学生の方々に届けていました。広告部門でのパネリストは相対的に少なかったのですが、半分以上の学生が広告志望ということもあり、学生の一方ではマスコミという意識が大きくなり、一方ではあまり役に立たなかったと思ったのではないかと感じています。

しかし、そもそも広告業界に限って言えば1/29、2/12に実施される広告業界就職フォーラムが本番であり、こちらでは広告業界に関する腹いっぱいの情報が皆さんに提供されます。むしろ今日のフォーラムは広告業界にとってもっとも重要なことの一つである「メディア」がまとめて学べたという点で、かけがえのない機会だったと考えて欲しいと思います。

本日コーディネータを務めた挨拶専用85氏のリクエストに応え、今日の参加者のために、もう一度「広告業界はマスコミか?」というコラムを読んでいただければと思います。

広告業界は「マスコミ」か?

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2005.10.07

広告業界は、「マスコミ」か?

一般的な会社のジャンルでは、広告代理店は「マスコミ業界」に入っているようです。しかし、これは正しい分類なのでしょうか?

マスコミ業界とは、一般的にはメディア会社群(主にTV、ラジオ、新聞、雑誌)、およびそのコンテンツを制作する会社群(制作プロダクションなど)のことを言い、第一義的には前者のことを指すものと考えられます。

一方広告代理店の基本構造を極めて単純化すると、「マスコミ各社の広告枠を、広告主に販売する」というものであり、マスコミは商品の仕入先ということになります(※厳密には仕入販売とは違います)。しかし、仕入先がマスコミであるということで、自分自身がマスコミ業界といえるのでしょうか。このような定義であれば、コーヒー豆を仕入れている専門商社は農業になり、家電製品を販売している量販店は電機業界となります。

また広告枠という商品は、仕入れた後は誰にどれだけでも販売してもいいコーヒー豆や家電製品と違い、掲載する広告主自体の審査や広告表現の校閲、また臨時ニュースなどで枠を飛ばしたり(=予定の広告掲載をメディア側からキャンセルする)、広告主にとって都合の悪いニュースを掲載・放送することもあります。すなわち、マスコミ業界は元来「ジャーナリズムを核とした、公共性の高い」業界であり、メディア会社の持つ「広告枠」という商品は、残念ながら、公共性やジャーナリズムの前には二次的な位置付けなのです。

広告業界は、「消費者へのインサイトとコミュニケーション力」がコアの価値である一方、極めて「B to B (Business to Business 企業間の取引)」色が強いという特色があります。マスコミのように直接コアな読者・視聴者を抱え、番組で流れた音楽が爆発的に売れるといった力を、広告業界単体では持ちえていないのです。したがって、広告主の多くは広告業界をあくまで「(広告主への)サービス業」と認識しています。

広告業界を「マスコミ」と位置付けることは、ほとんど伝統的な分類であり、多くの学生がTV業界と同列で広告業界を見ているようです。しかし、広告とメディアの立ち位置の微妙な違いを十分に理解せずに、派手で面白そうな業界ということで志望し入社試験に臨んだとしても、少なくとも広告業界にはまず入社できないと確信しています。

「広告業界就職フォーラム」では、志望する学生の方々に、広告業界を、

「クライアントのコミュニケーション課題を解決する総合サービス業」

と認識してもらいたいと思います。

そして、「TV/商社/コンサル/広告」といった「合コンつながり(!)」での就職活動ではなく、コミュニケーションのプロがもっとも力を発揮できる業界として様々な広告会社を研究し、挑戦していってほしいと思います。

しかし、広告業界もマスコミ業界的な感覚が要請されています。公共性の高いメディア会社にとって、「広告も視聴者・読者にとって有益な情報の一つである」という大きな建前があるからです。消費者への有益なメッセージをメディアに載せるのが広告代理店の役割であるとすれば、広告主の信頼性を広告会社が担保する必要がありますし、表現についても役に立つことや楽しいことをきっちり伝えなければいけず、消費者に誤解を招いたりミスリードしてはいけません。

また、マスコミという社会に不可欠なインフラを存続させるためにも、広告業界の立場はとても重要になります。広告主の利益とジャーナリズムの調整という、とても困難な仕事を、コミュニケーション力で遂行していくのが広告業界のミッションです。

このコラムをきっかけに、広告業界とマスコミ業界の関係を皆さんなりに一度きっちり考え、面接に役に立てて下さい。

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2005.09.28

「企画営業」「提案型営業」。

大辞泉で「営業」を調べると

1 利益を得る目的で、継続的に事業を営むこと。また、その営み。特に、企業の販売活動をいう。「年中無休で―する」「―マン」

2 法律で、継続的に同種の営利行為を行うこと。また、その活動のために供される土地・建物などの財産をいう。

とあります。営業という「職種」を指す場合には、「企業の販売活動を担当する役割」と言えるでしょう。この職種があって初めて企業は継続できるといっても過言ではありません。

「販売活動」には車、住宅、OA機器、ビール、飲料など「販売するもの」があります。このため「営業」特に「営業マン」という言葉には、「何かを売る人」というイメージがあります。これにネガティブなイメージを持つ人が多いのか、求人の現場には「企画営業」や「提案型営業」という言葉があります。

しかしこの「企画営業」「提案型営業」は、求人・求職の場でしか使われない言葉です。はっきり言えば営業職だけしか募集していない中で求職者に「企画【も】提案【も】できるよ」と言うために作られた言葉だと思われます。「営業はいやだけど、企画営業ならいいか」と言った求職者もいるのでしょう。

広告・印刷・コンサルなどの業界は最初から決まった売り物があるわけではなく、相手の状況を把握した上で企画を社内外のリソースを使って提案し、何らかの成果物を納品し請求するのが営業の役割です。しかし少なくともこのような業界では「企画」や「提案」という行為は当たり前のように仕事の中に入っているものであり、改めて「企画営業」「提案型営業」と言うことはまずありません。事実、広告労協でサポートした広告会社ではかつてどこも「企画営業」という言葉を使っていません。

模擬面接などをするとたまに「企画営業を志望しています」という学生がいます。きっと彼らは求人フリーペーパーの読みすぎなのかもしれません(苦笑)。少なくとも広告業界でははっきり「営業」という言葉を使うのがよいと考えます。

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2005.09.24

広告主のマーケ、広告会社のマーケ。

作家の渡辺淳一氏は週刊新潮9月29日号のコラム「あとの祭り」の中で、先の衆議院解散総選挙で評論家・識者・コメンテータと称する人たちの事前予想が大はずれし、選挙後にさまざまな理由を分析して問題点を警告している様について、以下のような意見を述べていました(要約)。

・要するに評論家の意見はあまり当たらない。それは世の中の流れ・気配といった「気」を読むことが苦手であるからである。
・小泉総理はこの「気」を読む力に長けており、郵政改革一本で突き進み造反組は刺客で報復して絶対勝利を獲得するというわくわくする作戦が、見事に時代の流れに当たって成功した。
・この「気」の流れは本を読んだりデータを調べるだけでは分からない。それはすべて過去のことについて書かれたものである。それより、今多くの人が何を思い何を望んでいるのかを察知することが重要。
・そのためにはもっと普通の人々と接し、彼らの日常の仕事やおしゃべりに熱い興味を抱かなければならない。
・これはあらゆるメディアでヒット作を生み出す基本。家や書斎、慣れ親しんだグループだけで考えて話し合っているだけではヒットは生まれない。専門家と一番かけ離れたいわゆる大衆の欲求とエネルギーにとけ込み、共感することが重要。

このコラムは、広告業界におけるマーケティングの重要性を示唆しています。

メーカーなどの内部マーケティング部門ではどうしても第三者的な見方がしづらく、また組織の理論からも保守的な意見になりがちです。広告会社のマーケティングに求められるのは、商品自体の論評ではなく、渡辺氏の言う「気」そのものだと言えるでしょう。

「広告主のマーケティングと広告会社のマーケティングはどう違うのですか」という質問は学生からもよく聞かれますし、面接でも聞かれる可能性は高いと思われます。広告主のマーケはこう、広告会社のマーケはこう、という分類ではなく、広告主のマーケは広告会社のマーケにこのようなことを望んでいるという答え方が適しているのではと思っています。

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2005.09.08

KAIZEN(カイゼン)。

「改善」という言葉は、ビジネス用語「KAIZEN」として今や世界に通じます。特にトヨタ自動車の経営哲学として有名であり、トップから現場に至るまで徹底的にカイゼン点を見いだし実現していくことで、年間一兆円以上の純利益を生み出しています。

カイゼンとは「より」よくすることであり、今の価値に立ち止まらず常にカイゼン点を発見していくことです。時には過去のやり方の否定から入ることにもあります。このようにカイゼンは付加価値創造の原点ともいえます。またカイゼンはそのノウハウを共有化することで、一人の小さなカイゼンを会社全体のカイゼンにつなげることができます。現場からの提案の声を大きく取り上げるのが日本式カイゼンの大きなポイントです。

トヨタ、松下、キヤノンなど生産現場でカイゼンに尽力した技術者OBの中には、経営再建中の会社に出向きカイゼンを伝授している方々がいます。カイゼン意識のない人には見えないことが、このような「カイゼンOB」の方にはすべて見えるのでしょう。当初はおっかなびっくりの社員も、カイゼンの効果がめきめき現れるにつれ、カイゼンOBを本気で信頼していくようになります。日本の賃金水準は他国に比べても依然高く、国内製造業は高コスト体質と言われていますが、カイゼンひとつでコストが半分になるということも少なくはありません。再建会社はカイゼンOBには宝の山に見えているのかも知れません。

広告業界の仕事もコミュニケーション活動における一種のカイゼン活動だと言えるでしょう。私自身、電車に乗っていても昼食を食べていても「あ、あれをこうすればもっと売れるかもしれない」「これをこう言い換えるともっと人が理解するかもしれない」などと思うことがよくあります。コミュニケーションを生業(なりわい)にしている以上、広告マンには普通の生活の中で他の人が見えない切り口を見いだすことが求められます。

特に経験豊かなクリエーティブディレクターが伸び悩むクライアントを新規担当すると、ブランドやコミュニケーション戦略上の課題を見事に整理し、説得し、カイゼンを果たします。最初は耳の痛い話が、徐々に信頼を獲得して行く。それはあたかもメーカーからきたカイゼンOBのような存在に似ていると言えるかも知れません。

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2005.08.31

最悪のブログキャンペーン。

blogはメンテナンスが簡単なだけでなく、情報発信者同士がつながる全く新しいシステムであることから、まさに人口爆発のように増えてきました。その中で企業のコミュニケーション戦略でblogがどう活用できるか注目されてきているのも当然の流れです。

しかしすでに米国では恣意的(しいてき)なblogキャンペーンにより最悪の結果を導いた事例も出てきています。日経BPの記事「最悪のブログキャンペーンを検証する」から抜粋・要約すると

ある飲料メーカーがキャンペーンキャラクターである牛に関したブログを開設するとともに、影響力のあるティーンブロガー6人を本社に招待し、製品やプロモーショングッズなどが進呈されたという。そして、彼らのブログでこのことを書くように依頼し、さらに彼らは商品とは全く関係がないことにするようにと言い渡されたのである。

6人のブロガー達はそれぞれのブログで商品のことを書くようになるが、その不自然さが、ブログの商業的な使用を嫌うブログ純粋主義者とでも呼べる人たちにより指摘されるようになる。そして、彼らがそののやり方を批判するコメントやトラックバックを大量にメーカーブログに掲載するようになり、企業側はそれをすべて削除し、終いにはコメント、トラックバックができないようにした。

それが火種となり、メーカーに関して批判の声が多くのブログ内で巻き起こった。さらに、あるオンラインマガジンが6人のブロガーの1人にインタビューを求めるメールを送ったところ、メーカーのPRから電話がかかってきて、結局、3者でインタビューを行い、ブロガーも個人の意見ではなくPR担当者のようなそぶりで質問に答えたなどということもあった。これらの様々な批判の記事がブログ界に流れたのである。

口コミ効果のみを追いかけて、ブロガーと対処することには問題がある。隠し事をせず、消費者と同じ目線で真摯に対応する態度が、ブログやSNS(Social Networking Service)などのCGM(Consumer Generated Media)が普及した環境での企業コミュニケーションに必要とされていることだと思う。
※本blog筆者による引用・要約。この箇所だけの引用を禁じます。詳細は引用元をご覧ください。

この記事は別な意味での口コミの強大さだけでなく、広告と広報の仕事のあり方の違いを再認識させるものだと思います。

自民党がブログ・メルマガ作者を招待し懇談会を開いたというニュースがありました。記事や関連ブログを見る限りでは自民党支持者だけでないブロガーも集め、大きな反感を呼ぶようなことはなかったようです。しかしいったん昔の政治屋根性が見え隠れしたら、せっかくの潮目が変わってしまったことでしょう。ブログが世論形成に大きな影響を持ち得るということを、時の政党がはっきり認識しただけでもこの選挙は意味があるかも知れません。

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2005.08.10

再販制度と新聞業界(後編)。

国際化で安い輸入物が入ってくるとしても、国家政策上国内の農業は一定規模残しておかなければいけません。同様にジャーナリズムは社会のチェック機関として決して朽ち果てさせてはならない分野です。しかし放送法で守られ規制されている放送局と違い、新聞社(と出版社)は自由な立場からジャーナリズムを実践します。だからこそ国家の保護を受ける訳にはいきません

新聞が朽ち果てる前に国民一人一人が新聞社の成り立ちと意義を認め、税金とは別に社会のチェック機関としての新聞社にも月額4000円程度なら支払っておくべきという「考え方」を広げなければいけません。そうなるまでにはまだまだ時間が必要です。当面の「延命装置」としても再販制は絶対に維持しておく必要があります。

しかし新聞業界自身に(再販制議論以外の)危機意識と打開策の用意があるかどうかは、正直いって疑わしいと感じています。再販を維持していけば何とかなると思ってふしはないでしょうか。少子高齢化問題ならぬ「少紙高齢化問題」として、新聞社自身がもっともっとジャーナリズムの行く末を世に問い新聞復権を喚起していかなければならないと考えます。

また広告労協の模擬面接だけでなく、広告会社の実際の試験でも「どうやったらもっと新聞が読まれるようになるか」という質問がよくなされます。それだけ新聞の活性化は広告業界の中心的課題とも言えます。それは私たち広告業界が健全なジャーナリズムに間接的に協力してきたという自負があるからです。

広告業界を目指す学生なら、ぜひ宅配紙を少なくとも1紙定期購読してほしいと思います。自宅に不在がちということもあるでしょう。しかし新聞は広告業界にとって重要なパートナーです。若い読者を増やしていかなければならない中で、広告業界の若い人自身が購読しないようであれば、結局購読料よりはるかに大きな金額で給料が下がってしまう事態になりかねないのではないでしょうか。

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2005.08.09

再販制度と新聞業界(中編)。

新聞社の取材費は、購読費収入と広告費収入(+事業収入)から捻出されます。収入の半分程度を占める購読費は、一部の経済紙、専門紙を除き、言うまでもなく宅配制度に依存しています。新聞販売店はあまねく零細規模であり、雇用の受け皿・奨学金制度など、宅配制度にはジャーナリズム以外にも一定の社会的意義があると言えるでしょう。

再販制に話を戻すと、新聞は毎日新しい紙面が発行され、古い紙面が流通することはありません。また基本的には1種類の商品しかなく、本紙が売れなければ(購読料も広告費も)収入の道が細ってくるだけです。新聞の再販制は事実上流通を含めた産業保護に他なりません。

私は、新聞業界の意義と現状を考えると、再販制を継続し新聞流通を保護しなければいけないと考えます。そうしないとあっと言う間に日本から多様なジャーナリズムが衰退してしまうからです。

「テレビのニュースがあれば十分じゃないか」、という人がいます。しかし新聞が「取材する」ニュースの量はテレビの比ではありません。また報じる量もテレビは限られています。もっとも問題なのは「ネットで見るから新聞とらなくていいよ」という人です。しかしいわゆるポータルサイトで報じられているニュースの多くは新聞社が配信しており、実際に取材しているのは新聞記者なのです。最近はこれをポータルサイトが取材していると勘違いしている人が増えてきています。この現状を新聞社はどのように受け止めているのでしょうか。いや、そもそも気づいているのでしょうか。

再販制がなくなればどうなるか。仮に新聞社が定価を下げないとしても、販売店の現場で熾烈な価格競争で「既存顧客」の取り合いとなり、つぶれる店舗が続出します。新聞流通ががたがたになれば新聞社の基盤は揺るぎます。仮に勝ち残った新聞社がいたとしても、テレビやインターネットでの無料ニュースに依存している人が新たに新聞を定期購読するとは思えません。再販制がなくなっても新聞購読者層全体が増えるわけではなく、読者の高齢化とともに終焉を迎えるでしょう。

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2005.08.08

再販制度と新聞業界(前編)。

先日「再販制度と出版業界。」というタイトルで、出版流通における課題について述べました。では新聞というものを考えた時、再販制度をどのように捉えたらよいのでしょうか。その前に、新聞とは何か、新聞社とはどのような企業なのかを考察してみます。

新聞社の企業使命は言論・出版の自由の実践です。まさに民主社会の公器と言えます。このため、特定株主に買収され紙面に影響を受けることのないよう、新聞社は株式上場しないのが一般的です。

新聞社は記者を自社で雇用し、記者はどんな記事がどれだけ売れる・この企業から広告費が期待出来るといった細かい算段や取引なしに取材費をかけ、日々苛酷な取材をこなします。政治・経済・事件・事故は記者を待ってくれません。1日でも半日でも他紙に抜かれれば「特オチ」のレッテルを張られます。新聞社の企業努力は「特ダネ」をいかに嗅ぎ付け、他紙に先駆けて紙面にするかに絞られると言えるでしょう。もちろん取材の結果興味深い真実が出ず取材費がムダになることもあります。しかし、出版であればその企画がどれだけ売れるか時間をかけて計画を立てるのでしょうが、新聞記事では立ち止まって一つ一つの採算性を検討していてはいい紙面は作れないのです。

新聞記者の方々と話していると、ジャーナリストとしての高い職業意識に感銘を受けます。ジャーナリストとは誰にも制限を受けずに自らの考えに基づいて行動する検察官のような存在です。また石油や農産物のように海外から輸入といったことができないのもジャーナリズムの特徴です。日本社会が自由で健全であることを保障するためにも、ジャーナリストには通常の民間企業とは全く違うロジックで動いてもらうことが必要なのです。

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