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2005.07.04

ヤマト運輸小倉昌男元社長が死去。

「宅急便」を生み出した、元ヤマト運輸会長の小倉昌男氏が6月30日に亡くなられました。

宅急便生みの親、ヤマト運輸元会長の小倉昌男氏が死去(ヨミウリオンライン2005.6.30))

家庭向けの宅配サービスの草分けである「宅急便」を生み出した、元ヤマト運輸会長の小倉昌男(おぐら・まさお)氏が30日午前6時7分(日本時間)、米ロサンゼルス市の長女宅で、腎不全のため死去した。80歳だった。

告別式は親族のみで行う。喪主はヤマト運輸取締役の長男、康嗣(こうじ)氏。ヤマト運輸などによるお別れの会の日程は未定。

小倉氏は創業者、小倉康臣(やすおみ)氏の長男で、東大経済学部卒業後、1948年9月に大和運輸(現ヤマト運輸)に入社。71年3月に2代目の社長に就任し、76年に周囲の反対を押し切って宅配便事業を始めた。

「クロネコヤマトの宅急便」の愛称で知名度を上げて事業を拡大した。「ゴルフ宅急便」や「クール宅急便」など、消費者ニーズに合ったアイデアを繰り出して業界首位に育てた。

郵便小包で競争する旧郵政省(現総務省)と対決姿勢を鮮明にしたほか、配送網の路線免許を出さない監督官庁の旧運輸省(現国土交通省)を相手に訴訟を起こすなど、官の規制に決然と立ち向かうリーダーシップを発揮した。

93年に私財を投じて、障害者の自立を支援するヤマト福祉財団を設立した。2度にわたって会長を務めた後、95年6月に経営から完全に身を引き、福祉の仕事に専念していた。

小口向けの宅配事業は事業開始当初から全国各地にサービス網がなければ成立しません。コンピュータもインターネットも普及した後にネットビジネスを興すのと違い、小倉氏が挑戦したのはゼロからのインフラ構築でした。電話も郵便網も当初は国家事業として膨大な税金を投入して実現したものであり、1民間企業として宅急便事業を始めるにあたり周囲の反対があったことは当然だと思います。

事業開始当時の世間の価値観は「官尊民卑」であり、規制緩和という考え方すらなかった時代に監督官庁に対して訴訟を起こすなどは、民間企業としては自殺行為とも言えることだったでしょう。しかし従業員の雇用をあずかる経営者として決して失敗は許されません。小倉氏は確かな先見の明と使命感をもって、行政の壁に突き進んでいきました。同時に「時間帯指定が無料」や「電話一本で集荷」といった画期的なサービスを世に出していきました。

現在の宅配業界全体の隆盛を見ると、このような歴史があったことを忘れてしまいがちになります。しかしヤマト運輸という会社を知れば知るほど民間企業で働く誇りを思い出させてくれます。社会や経済の発展はこのような民間企業の存在なしにはありえないのです。また宅急便が世間に認知された理由の一つは「広告」であり、広告業界が宅急便や宅配マーケット自体に貢献したということも広告人として誇りを感じます。

小倉氏が引退後もヤマト運輸は「ドライバーダイレクト」(自分の住んでいる地区の担当ドライバーの携帯に連絡をすることができるシステム)など、常識では考えられないようなサービスを次々と実現しています。小倉イズムはもはや小倉氏死去でも決して揺るがないものになっていると言えるのではないでしょうか。

ヤマト運輸は私がもっとも尊敬する企業の一つです。

やればわかるやればできる「やればわかるやればできる」(小倉昌男著、講談社)

【目次】
第1章 必ずできる!百パーセントのサービス―利益は後からついてくる(利用後の立場に徹したサービスをやり抜こう/苦情もサービス向上のきっかけにできる ほか)/第2章 変化しつづけて会社の若さを維持―未開の分野、宅急便への挑戦(アイデアと全社員一丸の努力が成功をもたらした/組織の老化は速い!常にチェックして若さを保とう ほか)/第3章 会社は人なり―働く人のゆとりが良い結果を生む(社会人一年生に贈るメッセージ/女性よ、がんばれ! ほか)/第4章 会社の健康診断―大企業病の早期発見と治療(病気のきざしはすぐそばにある/管理職こそ要注意!社長も例外ではない ほか)

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