事業主は従業員を新たに雇用するときはその時点で(労働安全衛生規則43条、以下安衛則)、雇用している従業員に対しては1年以内ごとに1回定期に(安衛則44条)、医師による健康診断を行わなければなりません。健康診断の項目は血圧、肝機能、血糖値、尿など法律で定められています。
しかし厚生労働省は従業員の健康情報に関するプライバシーが守られていない事例が増えているとして、労働安全衛生法の改正を検討し始めています(5月10日 日経夕刊)。
改正案のハイライトで、採用に関連するところをピックアップすると、
2 職場におけるエイズ対策の基本的考え方
(4) 事業者は、労働者の採用選考を行うに当たって、HIV検査を行わないこと。
(解説)
本人の仕事に対する適性、能力に基づく採用選考を推進するという観点から、採用選考を目的とした健康状態の検査は、応募者の能力と適性を判断する上で合理的かつ客観的にその必要性が認められる範囲内に限定して行われるべきものである。
この場合においても、検査内容とその必要性について、あらかじめ周知されるべきであり、応募者が知らない間に検査が実施されることはあってはならない。
また、HIV感染の有無それ自体は、応募者の能力及び適性とは一般的には無関係であることから、採用選考を目的としたHIV検査は原則として実施されるべきではない。
なお、HIV抗体検査陰性証明が必要な国での勤務を行う者を採用しようとする特別な場合には、募集時にHIV抗体検査陰性証明が必要であることを明示する等、事前に応募者に周知しておくことが望ましい。
としています。
この改正の動きに関連し、組合顧問社会保険労務士の協力を得て、「法定外であるHIV抗体検査を従業員に無断で実施して争われた事件」の判決について調べました。
T工業事件(千葉地判平成12・6・12)
(小畑史子著「最新労働基準判例解説」(日本労務研究会)から)。
●事件概要
日本国内に居住する日系外国人労働者(原告)に対し、会社が定期健康診断の際に本人に無断でHIV抗体検査を実施し、陽性であった原告を解雇したために争われた。原告はプライバシー権の侵害により多大な精神的苦痛を受けたとして、会社と検査を行った医療機関に慰謝料の支払いを請求するとともに、会社に対して解雇権の濫用であるとして、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認と賃金の支払いを求めた。
●判決主旨
裁判所は慰謝料の支払いと雇用契約期間(1年)終了までの賃金支払いの請求は認めたが、契約更新の確認請求については、会社が更新すべき特段の事由が認められないとして退けた。
●判決主旨で注意すべき点
(1)事業主であっても合理的かつ客観的な必要性が認められない限り、HIV抗体検査等により従業員個人の情報を取得し、取得しようとしてはならない。
(2)特段の必要性もないのにHIV抗体検査等を行うことはプライバシーの権利を侵害する。
(3)医療機関は事業主から依頼があっても、本人の意思を確認した上でなければHIV抗体検査を行ってはならない。
(4)医療機関は検査結果についても秘密を保持すべき義務を負っており、本人以外の者に検査結果を知らせたりすることは、本人のプライバシーを侵害する違法な行為である。
この判決では「(検査結果を)取得する、しようとする」ことが違法であるとしていることが注目されます。その結果が陰性だろうと、診断結果をもとに(雇用取り消しなど)なんらかの措置を講じなくても、プライバシーへの侵害が成立するということです。
さらに注目したいのは、「(安衛則に定められる範囲外の検査については)事業主からの依頼であったとしても、医療機関は本人の意志やプライバシーを優先すべき」という点でしょう。HIV検査を会社のいうがままに実施した医師の責任は大きいと言えます。
従業員にこのような横暴をすれば、会社は表ざたになるリスクを負います。しかし新卒採用では学生に落選理由を説明する義務はありません。行政通達に反する事前健康診断を(罰則がないのをいいことに)平気で実施している会社が、ブラックボックスの中で法定外検査までしていないと、どうやって立証できるのでしょうか。厚生労働省の言う「プライバシーが守られていない事例」は就活生に及んでいないと誰が言い切れるでしょうか。
大学入試問題に不備があればその問題については無効にし、点数をかさ上げしたり合格措置とします。警察が刑事訴訟法上違法な証拠収集をした場合には、裁判では真偽にかかわらず証拠として採用されません。これらは「強い立場にいるものこそ、ミスをした場合には弱い立場の側に立った配慮が求められる」という考え方によるものだと思います。
内定前の就活生は、極めて弱い立場の存在です。仮に採用当局が厚労省通達をうっかり知らなかったといっても、その責任はとても重いものといわざるを得ません。時間をさかのぼってでも、健康診断前の日付で、血液検査をした学生全員に内定を出すべきです。全員内定させたとしても、彼らはそもそも採用当局のお眼鏡にかかった優秀な学生ばかりです。内定を出しさえすれば健康診断は義務になり、多少の前後があろうと問題自体が存在しなくなります。
これができない企業は、事実上平気でプライバシー侵害をする会社だと認識されても仕方がありません。さらには会社の言いなりになる医師がいる訳ですから、法定外診断も可能なのではないでしょうか。HIVだけでなく肝炎検査などでも就職差別をしている恐れもあります。
今後広告労協と協力して健康診断の実態調査をし、ハローワークへの相談、労働安全衛生法の改正にパブリックコメントを出すなど、できうる限りの対応をしていきたいと思います。
それまでに今年採血された学生全員に内定が出ていることを望みます。